てぃーだブログ › One love

【PR】

Posted by TI-DA at


負け続けている、、、

2024年03月11日

Posted by ryu at 16:17 Comments( 0 ) 人生





SOSはSOSらしくないこともあるということに気が付いた、、

SOSというからには、、

緊急らしく、切羽詰まった感じがするというのは、、

SOSを知らない人なのかもしれない、、



自分がそうだったように、、


歳をとって、涙もろくなるのは何故だろう、、

一人で生きていけるから、、、


そんな理由がなんかの歌の歌詞にあった気がするが、、

自分には今一つピンとこない、、


家にやってくる野良猫がいた、、

初めて見たのは、、7年くらい前だろうか、、

ある日、、家の庭の片隅に、、黒白の猫がいた、、


子猫というには、、大きくて、、

でも成猫ではない、、


生後一年くらいだろうか、、

瘦せていた、、

顔が、、カマキリのように三角形だった、、

目は剃刀のように見たものすべて切ってしまうような、、

そんな目をしていた、、

その一年くらい前に長男が生まれて1か月位の子猫を保護してきて、、

家にはその子猫がいた、


エサをあげよう、、、

そう思ってフードをとってきてにはの片隅に置いた、


猫は尋常じゃないくらい警戒心が強く、、

自分の姿が見えていると、、

食べなかった。


仕方がないので少ししてから見ると、、

いつでも逃げることができる体制でフードを貪っていた、、



それがこの猫との出会いだった、、

なかなか警戒心が薄れることはなかったが、、

ここに来るとご飯が食べれる、、、

猫はそのうち毎日来るようになった、、

この子は女の子だった、、


一年くらいしてから、、このままではいけないので、、

避妊手術をすることにした、、

ネットで捕獲機を購入し、、

捕まえて病院に連れて行った。


捕獲機に入った時は少し暴れたが、


直ぐにおとなしくなった、、


TNRは元の場所に戻すことが基本なので、、

術後にはまた庭に放した、、


皆さんは、、、

野良猫の生存率をご存じだろうか?

自分も知らなかったが、、


およそ1年から2年といわれているらしい、、、


短い、、

短すぎる、、


毎日ご飯を求めてさ迷い歩き続け、、、

虫やネズミなども食べて、、


たまに偶然エサをもらうこともあるだろう、、、

過酷な環境で生きている、、


この猫は栄養状態が悪かったが、、

毎日来ることで少しづつ改善していった、、


野良猫なので、白いところはいつも汚れている、、

洗ってあげたいが、、触らせてはくれなかった、、


2年が経ち、、3年、、4年、、

自分の姿を見ると遠くから走ってくるのが見えた、、

ご飯の時間だ!

そんな感じで駆けてくる、、

可愛かった、、



この子に希望がありますように、、、


そんな願いでこの子には希望のきいーちゃんと名付けた、、

きーちゃんは1メーターまでは近づけるが、、

それ以上は無理だった。


手を伸ばすと、、すかさず猫パンチが飛んできた、、


今年で7年目になるはずだった、、

捕まえて、、

家で飼おうか、、、


何回も自問したことがある、、

でも、、


それがこの子にとって幸せなのか、、


この生まれた野良の環境で自由なほうがいいのでは??


自問の日々が続いていた、、

きーちゃんはほぼ毎日家にやってきた。

朝と夕、、

朝は自分が出かける7時前には玄関にスタンバイしていたし、、

夕方は自分が帰ってくる頃には門の上のシーサーの横に寝ころんでいた、、


雨や嵐の日以外は必ずやってきた、、

一年を通して痩せるときもあれば、、太るときもあったが、、

健康であった、、



いつからだろう、、

多分半年くらい前からか、、

2,3日来なくなる日が出てきた、、

でも3日目にはまたやってきた、、


そんな日が増えていった、、

栄養状態は悪くないので、、

どこかほかでもご飯をもらっているのだろう、、


くらいに考えていた


家に来ない日が続いても、、

忘れることなく顔だけは見せに来た、

そして、ご飯を食べる量が減ってきた、、


どこかでもらってるのかな??

そんな感じだった。

病気かも、、、

そうも思った、、


女の子なので行動範囲は広くなく多分半径200メートルくらいの中で生活している感じだった、、


やってくるけれど食べる量が少ない、、


そんな日が続いた、、




1週間こなくなり、、

1日顔を見せて、、


また1週間、、来ない、、


そんな感じで、、


でも来るとニャーニャーと何か話しかけてくる、、


うちの子になるか??

手を伸ばすけれど、、


触らせてくれない、、


顔を見せると何か話しかけてくる、、


でも痩せてはいないし、、


病気の感じでもない、、



何か、、、


助けてほしいのか、、、


にゃーにゃー、、    にゃー、、にゃー、、


にゃー、、にゃー、、


にゃー、、




そして、、


顔を見せなくなった、、、



もう2か月になる、、




あれは、、


あれは、、SOSでなかったか???


あの、、にゃーにゃー、、はSOSだったんじゃないか??



なんだろう、、、


毎日、家にやってきた、、、、、野良猫、、、


野良猫、、、


いつの間にか、、

自分は、情をつなげていた、、、




野良猫、、、


何か言いたかったのかな、、




もっと、、

もっとはっきり言ってくれないと、、

わからないよ、、


もっと、、はっきり、、言ってくれたら、、


自分には予感があったのかもしれない、、


いなくなってしまう、、、



哀しい、、



哀しいわ、、


自分も一人で生きているから、、、


野良猫だったけど、、

仲間だった、、

触ることはできなかったけど、、


友達だった、、





きーちゃんのことを考えると、、

泣けてくるわ、、

いいとししたおっさんやけどね、、



きーちゃんとは、、


もう会えないな、、、



こんなことが続くと、、


あぁ自分は負けているな、、、と思う、、


負けている、、



負けている、、



猫に負けている、、



酒に負けている、、



夜に負けている、、



独りに負けている、、



自分に負けている、、



歩いては負け、、走っては負けている、、



息をしても負け、、



寝ても起きても負けている、、





今は、、





今は負けている自分だけが見える、、

























、、、









記憶の鱗:2

2024年02月09日

Posted by ryu at 14:24 Comments( 0 )





記憶の断片・・・


1980年代の話、、

難波に向かう電車の中で声をかけた黄色いセーターを着た女性、

難波の改札を出た左の端で待ち合わせをした女の子の履いていた白いパンツ、

天神祭の花火大会で待ち合わせした女の子にすっぽかされた梅田の紀伊国屋書店、

仙台の女の子を迎えに行ってすぐに大喧嘩をして別れた梅田の東通り商店街、、

白鷺の駅沿いに並んだ桜並木とその花吹雪、、

寒い冬の昼に会いに来た高校の同級生が履いていた黒い靴、

朝のラッシュの時間三国が丘の駅の階段を下りていく好きだった人を電車の中から眺めていた自分、、

最終電車の御堂筋梅田駅のホームで酔っ払ってカップルに絡んでいた大阪府警のおっさん、、

鎌倉から深夜電車で大阪に到着した彼女を迎えた時の彼女の化粧の落ちた横顔、、

教会の結婚式に呼ばれたときにカメラマンをしていた女子が履いていた赤い短いスカート、、

いつ、どんな風に別れたかも理由すら忘れてしまった西宮の彼女がくれたシルバーの指輪、、

俺の部屋に泊まった翌朝味噌汁を作っていた彼女の素足の大きさ、、

真冬に深夜の工場のバイトから朝に帰ってきて部屋に入った時の冷たい空気とカーテンの明るさ、

心斎橋にあったPIG&ホイッスルという外人が集まるBARにみんなでよく行ったこと、

私のおかぁさんの足は像の足と言って笑っていた彼女の美しいきれいな髪、、

寮に入っていた彼女が嘘をついて泊まりに来た時自転車で駅まで迎えに行ったこと、、

彼氏がいるから付き合えないという女の子を誘って行った野外のレゲエライブ、、

二人して雨でびしょびしょに濡れて冷え切った体で入った難波地下街の北のコタンというラーメン屋、、

心斎橋で友達と二人で個展をしてるから来てねと言われていった時の彼女のうれしそうな顔、、

南インドを一人旅した彼女がお土産にくれたルンギー、そのあとどうしたのかの記憶が全くないこと、、

天満の駅を降りて路地を歩いた先にしゃがみこんでキムチを売っていた在日のおばぁ、、

ステーキ屋で働いていた連れが深夜にサーロインの塊を持ち込んできて焼いて食べたアパート、、




それらすべてのことを置き去りにして、、


沖縄にやってきた自分、、、































生きていくこと、、、

2024年01月31日

Posted by ryu at 09:21 Comments( 0 ) 人生




60歳を過ぎてしまった、、、

60歳、、60歳、、、、、


60歳、、


60歳のイメージ、、


60歳というとおじぃちゃん直前のpreおじぃちゃんやね、、


還暦という歳になってしまった、

他の方たちもそうだと思うのだけど、、


どうも現実の年齢と今の自分の脳内年齢が合わない、、、

歳をとったはずなのに、、


昔からの記憶の積み重ねがそう思わせるのか、、


30代の頃も思い出し、、40代、50代もこの間のようだ、、

まぁ自分は30代の頃から体重も変わらないから余計にそう思うのかもしれない、、


でも、、

でも確実に年齢を重ねていることは確かなことで、、

身体にガタが来ているのも事実だ、、

若く見えるというのと、、

若いということは全然違うことだ、、


自分は体も良く動いたし、、

DNAのおかげで今まで健康でいることができた、、


でも、さすがに60歳をこえると、、

あぁ年をとったなぁ、、と感じることが多くなりました、、

感じること、、


いろんな感じることが、年を取ると、、変わったなぁ、、と思います。

感じ方が変わった、、、


親が認知症になり、、

親が亡くなり、、


自分がそんな年齢なのだということに、、

改めて気づかされる、、


子供の時は、、親に守られ、、

おかぁさんになんでもしてもらった、、

仕事しながら、、

夕食を作り、、

洗濯をして、、

洗い物をして、、

洗濯物を干して、、

お風呂に入り、、

深夜に寝て、、

早朝からお弁当を作り、、

仕事に出かける、、


そんなおかぁさんが、、認知症になってしまうと、、

自分のこともわからなくなって、、

寂しい気持ちで一杯になる、、


自分は、、

この先も生きていかなければならない、、


義務ではないが、、

多分生きていくでしょう、、


なんか、、

歳をとると、楽しいことより、、

悲しいことのほうが多くなっているような気がします、、

自分はどうなるかわからないけれど、、


悲しい気持ちよりは、、

楽しい気持ちで毎日を過ごしたいと思います、、



それは、、

どこかの誰かがやってくれることではなく、、


自分でやらなければならないことだけれど、、



一歩でも前に歩いて、、

楽しいことを探していこうかな、、と思います。

















できるやろか?





























あの頃・7

2023年11月13日

Posted by ryu at 14:57 Comments( 0 ) 人生



彼女と初めて会ったのはどこだったかな?

ニューデリーだったかもしれないし、、

東京だったかもしれない。

いや、大阪だったかも、、

丸顔で美人ではなく、ちびまる子ちゃんのような顔だった。

一つ年上で、負けん気が強くて、意気揚々と歩く姿が新鮮だった、、

ニューデリーのパハルガンジで出会ったほかの二人と、

1か月間テントを持って男二人、女二人で北海道に旅をした。

彼女が北海道常連だったこともあり、、みんなで行ってみよう、、ってなった。

1980年代最初のころだ。

まだまだゲストハウスなんてものは日本にはなく、、

やっとそれらしきものが北海道にできはじめたころだ、

そんな宿は旅人宿とよばれていた。

まぁ自分たちは一度も宿に泊まることもなく、全泊テントだった。

青春18切符が当時でたばかりで、、

朝6時の大阪発東京行きに乗車して、、夕方の18時過ぎに東京に着いた。

町田で1週間ほど友人の友人宅で4人居候して暮らし、、

朝6時頃上野発の鈍行列車に乗った。20時に盛岡に到着して駅前の公園でテントを張った。

翌朝、朝6時に盛岡を出発し夜中24時前に札幌駅に到着、、

改札口の出たところで段ボールを寝床にして寝た、、

同じように寝ている旅人が何人もいたのを憶えている。

翌朝5時頃に乗客が来る前に起きてくださいと放送があった。

始発に乗りまたもや24時ぎりぎりに稚内に到着した。。


若かったからできた大移動だった。

すべて鈍行だったからね。


初めて訪れた北の大地は澄んだ空気を運ぶ風に満たされていた、、

匂いが違った、、

モラトリアムな空気の中で生きていた自分にとって、


矢印の先が少し見えたような気がした。

北の浮島礼文島。

湖の近くのキャンプ場で1週間ほど過ごした。

キャンプ場の炊事場では同じような旅人同士、、

毎夜毎夜、宴を持った。

その後今は伝説となった富良野の鳥沼のキャンプ場で1週間ほど過ごした。

そういえば帯広だったかどこかでカニの宿に泊まったな、、、、


知床にも足を延ばして、、

時間がなかった自分は一足先に大阪に戻ってきた。

そのあと彼女とは遠距離で付き合うことになった、、、

自由な時間を作れた彼女が大阪に時々やってきた、、

タイのコサムイからペナン島、、

マレーシアを二人で旅した、、

コサムイからマレーシアの国境へ向かうミニバス、、

旅人を乗せたハイエースは猛烈なスピードでぶっ飛ばし、、

夕方マレーシアの国旗のモチーフが彫られた国境のゲートが、、

ガラガラと閉まっていき、、

あと半分ほどで閉じられる寸前で滑り込んだのを、、

今も憶えている、、


80年代の音楽も、、ファッションも、、イタ飯やらクラブなんかも、、、

全部全部、ほったらかしで、、、


モラトリアムの充満した空気の中だけで生きていた、、、

そんな日々の中、、、

少しずつ、、、

少しずつ、、、、


お互いのベクトルが違うことが、、、見えてきた。



そして、、、





そして年が明けると、、、



彼女は中国経由の陸路でラサを目指す一人旅に出た。



大連行の船が出る大阪港に寒い朝、、見送った。


電車の中で、どんな話をしていたのか、、


自分がどんな気持ちだったのか、、




どうして、、そうなったのか、、


すべて忘れてしまった、、





大陸から、、、

そして、、

遥かな都、、

ラサから、、、



幾度となく手紙を受けとった、、、




あれから、、







彼女とは会っていない、、
























解決しなくていい、、

2023年06月30日

Posted by ryu at 09:49 Comments( 1 ) 人生





久しぶりにわかったこと、、

人生の問題は解決しなくていい、、

ということだ。

なんか文字にすると違う意味に感じるが、、、


そういうことだ。

人の一生は様々な問題にさらされて、、

その解決をしようと一生懸命に生きているのに

さらなる問題がやってくる、、


人はたくさんの問題を毎日解決しながら生活している。

10代の頃は思ったもんだ、、

大人になったらあんまり問題は起こらないんだろう、、、と


いやいや、、


50歳になっても、、

60歳になっても、、


毎日どこからか問題がやってきて、、

頭の中を占有してしまう、、


時にはその問題で気分もふさぎがちになったりもする、、

今までだって、、

たくさんの問題を解決してきたし、、

解決しようと努力してきた、、





でもね、、


気づいたんだよね、、




問題って、、


なくならないことに、、


なんなら死ぬ直前まで問題はやってくると思うね、、



解決しても、、解決しても、、


なくならない、、


まるで雲のようにモクモクと、、

あとからあとから湧いてくる、、、



そんな問題にいつまでかかわっていなければならないんだろうか??





いや、、



いやいや、、、





もう、、


積極的に問題を解決しようとする姿勢を改めようと思う、、、




勝手にやってきた問題は、、


ほおっておいたら、、、



勝手にどこかに行くんじゃないかな、、、




もう、、


残り少ない人生だし、、、



問題を解決してる暇なんか、、




ないわ、、、








問題は解決しようとしない、、、



出来るだけそのままにしておこう、、







そう思います。












もっとほかのことに脳みそ使いたい、、










、、







あの頃・6

2023年06月16日

Posted by ryu at 15:22 Comments( 0 ) 人生


1980年頃・・・

大阪北新地はバブル真っ只中だった・・

関西一の超が付く高級クラブ街・・

東の銀座、西の北新地。

そのど真ん中、新地本通りのさらにど真ん中で仕事をしていた・・

店の向い側に、かに道楽北新地本店があった・・

それだけでどれくらいど真ん中かが分かると思う。

僕が働いていたその店は二階建ての小さなビルの二階にあった・・

一階は和食の料理屋だった・・

周りはほとんどすべて高級クラブのお店で占められていた・・

水商売の世界はクラブ→ラウンジ→スナック、というヒエラルキーができていた。

本通り中心にはクラブしかなく周辺に行くにしたがってラウンジがあり、

さらにその向こうにスナックが点在していた。

新地は中心が本通りだがその前後左右にもいくつもの通りがあり、、

すべて水商売のお店で埋まっていた、、

所々にお店の女の子相手の美容室や花屋があった。

もちろん高級すし店や割烹もあった。

当時飲み屋だけで4000店あるという話だった・・

まぁ普通の人が自分の財布で飲みに来るような世界ではなかった。

どこの店の入り口にも若くない黒服の男性が立っていた。

最初この店に入った時は喫茶店をやっていて、、

自分はメインの仕事が終わった夜が暇だったので人に紹介されてバイトで入った。

客はすべてお店のお姉さんで、あとは黒服だった。

コーヒーを飲みながら引き抜きの話なんかしていた。

お店のママは25歳の女性で姉さんと呼ばれていた・・


お店には姉さん以外に、21歳・26歳・35歳の女性と僕の5人で回していた・・

今では考えられないが、全員煙草を吸っていた・・・

客も全員煙草を吸うので照明を落とした店内は換気の悪さもあって煙でいっぱいだった。





週末夜、20時も過ぎると、北新地本通りは酔い始めた人々で賑わう、、

日本有数のネオン街が輝き始める。


僕はカウンター内業務だったが、、

客が途切れると階段を下りていき、本通りを歩く人々を眺めるのが好きだった、、

夜の店で働く女性たちがたくさん行きかう、、

美しいドレスを着た女や着物を着た女性が急ぎ足で通りをすり抜けてゆく、、

甲高い声や嬌声がビルの隙間に響く、、



どれだけの人生があるのだろう、、

男と女、、

女と男、、


日常と思いっきりかけ離れたこの世界。

その非日常の中で働く女性たち、、


非日常を楽しみに来る男たち、、、


20才そこそこの自分は少し冷めた目で、、


通りを行きかう人々を眺めていた、、








この一年後僕は新地を後にすることになる、、、

























記憶の鱗・1

2023年04月26日

Posted by ryu at 14:49 Comments( 0 ) 人生





昔のことを思い出してみる、、

1995年くらいの頃、、




仕事に行く前朝早く歩いた人の少ないミナミの商店街、

扇町公園の向い側にあった店で買ったSEIKOの古い柱時計、

天六から梅田まで歩いたアスファルトの風景、、

朝早い誰もいなかったアメリカ村の三角公園、、

夜の梅田、彼女と入った誰もいないレゲエBAR,,

宮崎から出てきていた彼女と仕事帰り電車に乗っていった夕暮れの淀川の河口、、

バンドの練習終わりの友達と待ち合わせた23時過ぎ、梅田の東通り商店街、、

僕が働いていたバブル真っ只中の梅田北新地、、

仕事帰り友達と食べて飲んだ天神橋六丁目の寿司屋春駒、、

タブラーを練習していた頃の電車の中から見た阪和線界隈の街並み、、

彼女と行った足摺岬のキャンプの帰りフェリーで買った缶ビール、、

女の子と部屋飲みしていてそんな雰囲気になった時、初めてなの、、と言われて途中でやめたこと、、

女子友が遊びに来てアパートの前に止めた600ccのバイクの事、、

働いてた北新地の店に置いてあった藤原信也の全東洋街道を見た時の衝撃、、

心斎橋にバイトの給料をもらいに行ったとき麦わら帽子でいったこと、、

梅田にあったカエルのへそとかいう狭い居酒屋の激混み具合、、

尼崎の団地で朝まで5.6人で飲んでた日、、、

チベットのラサまで陸路で旅をするという彼女を送った電車の朝、、

学校を退学して故郷に帰ってしまった彼女が部屋に置いていったアニメの下着、、

真冬のアパートの部屋でどぶろくを作って蒸留して泡盛を作った日、、、

尼崎にあった明治ハイチュウの生産ライン工場で深夜から朝まで毎日バイトしていた頃、、

スリランカ行きのチケットを受け取りに行った雪の積もった梅田の朝、、

難波でフリーマーケットしたときに出会った女子のくれた名刺、、

心斎橋でバイトしていたお好み焼きの店の前にあるビルのエレベーターが昭和初期の年代物だったこと、、










たくさんあるなぁ、、




























あの頃・5

2023年04月13日

Posted by ryu at 15:23 Comments( 0 ) 人生



16歳の頃、、

高校2年生になったばかりの頃だ、、

学校の教室の並びは1組から12組まで一列に並んでいた。

二階だった。

向かいの校舎には視聴覚教室とか選択授業の教室があった、、

3時間目かの休み時間、渡り廊下に12組の女子から呼び出された、、

その女子は自分と同じクラブの男子が好きすぎて有名で、、

告白はしたが受け入れてもらえず、、それでも好き好きオーラを常に照射している子だった、、


そんな彼女に呼び出されて渡り廊下に行くと、、、

僕のことを好きな女の子がいる、、、

そう告げられた。

代理告白だ、、、




高校に入学してクラス分けされた教室に向かう、、

教室では担任がこれからの高校生活の注意事項なんかを話していた。

靴下は白で無地のものを履くように、、みたいな感じだった、、、

あと不要なものは学校に持ち込まないこと、、、とか


次の日だったか、教室の後ろのドアから入ると、後ろの席で漫画を家から持ち込んで読んでる女子がいた、、

薬師丸ひろこに似た感じの女の子で、、

それを見た僕は、、

こいつ漫画を学校に持ってきてるわ、、

そう思った、、


靴下は黒色で柄が入ってた、、

こいつ話聞いてなかったんかな??

みたいに思った。



でも、、何日も同じ教室で過ごすうち、、、

僕の気持ちは彼女にもっていかれてしまっていた、、

でも奥手だった僕は自分から女子に話すことはなかったので、、


当然好きな彼女ともほとんど話したことがなかった。


そして、、そのまま月日は流れた、、

好きだった、、

でもどうしていいか、、全然わからなかった、、

彼女うんぬんというより、、

自分は男子と遊んでるほうが断然楽しかった、、

女の子と何して遊んだらいいのか全くわからなかった、、



16歳の夏、、、

高校2年の夏、、、

この文字列を見るだけですごい価値のある物だと、今なら言える。



過ぎ去ってからでないと気づかない物凄い価値のある時間だ。


あの夏の日、、

EDWINのジーパンに茶色の皮のバンド、、

紺のパイル地のハットにブルーとイエローの縞模様のTシャツ、、

それが僕の定番のスタイルだった。



渡り廊下まで連れられてきて、何のことか全く想像できなかった、、

その子は言った。


僕がずっと好きだった彼女が僕のことが好きで、、

付き合ってほしい、、、と


一瞬で意識が光の塊になって天井を抜けて宇宙の果てまで飛んで行った、、、



こんなことがあるだろうか??

あの時ほど幸せを感じたことは未だかってない、、、


そしてその幸せの放物線はその地点が最高でだんだんと下がり始めた、、



お互いの気持ちを確認した時点が最高の幸せだった、、



僕には女の子と付き合う、、ということが分からなかった、

SEXにもそこまで興味がなかった。

彼女の気持ちを考えてあげることができなかった。

映画に行くこともなく、、

二人でデートすることもなく、、


自分の中では気持ちが萎えていった。

男の友達と夜遊びしてるほうが楽しかった。







僕がこんな話を続けて書いている理由、、


あの頃、、

そんなお題で思い出を文字にしている、


それは、昔自分のことを好きだと言ってくれた彼女たち、、

その彼女たちが僕に話してくれたこと、、

それをできるだけ思い出したいからだ、、


年齢を重ね、、もう若くない僕の記憶の扉は閉じられようとしている、

その扉が閉まってしまう前に、、


彼女たちが話してくれた言葉をできるかぎり思い出しておきたい、、

なんて言ったのか、、

どんな感じで笑ってくれたのか、、

彼女の手の柔らかさ、、

彼女の手を触った時の僕の心のときめき、、




残念ながら、、少し遅すぎではある、、



想い出さない、、


あの時僕の部屋で過ごした時間、、

たくさんの事を話したはずなのに、、


想い出すことができない、、


















できない、、











あの頃・4

2023年03月07日

Posted by ryu at 15:37 Comments( 0 ) 人生




昔の話だ、、

ずっと昔、、

僕がまだ17歳の頃だ、、

だから40年くらいは昔の話だ、、

16歳で原付免許をとって、、原付バイクを買った、

本当は中型免許を取って400ccのバイクに乗りたかったが、、

教習所に8万くらいかかるのでやめにしてパッソーラを買った。

とりあえずバイクが欲しかったのだ、、

バイクがあると行動範囲が自転車に比べて格段に上がる。

両足をそろえて乗れるスクーターということで当時パッソルとパッソーラは爆発的に売れた。

あちこちのヤンキーも乗ってた。

夏の話、、

土曜日の夜に、10人くらいで26号線を南下して大阪から和歌山までバイクで走ろう、、ってなった。

もう、誰と誰がいて、どうやってどこに集合してどうしたのか、、

ほとんど憶えていない、、

堺、岸和田を超えたあたりから道路は暗闇が多くなった、、

1980年前後の大阪は暴走族も多く、よそ者が集団でバイクで走ろうものなら、、

いちころ、、の時代であった。


コンビニなんてなくて、、

夜中に空いてるのは釣りエサのお店があるくらいの時代だった、、

ときどきある自動販売機で缶コーヒーを飲んだ、、

夜の10時頃出発した、、

あの頃はなんであんなしんどいことができたんだろう、、

何にもなかった時代、、何にも持ってなかった、、

あるのは永遠になくならないと思えるくらいの時間、、、だけだった、、


自動販売機の前でたばこを吸い、、つまらない話をずっとしていた。

朝、、夜明け前に和歌山の加太に着いた、、

静かな夜明けで、、なんか薄くもりの空だった、、

久しぶりに見る海だった、、


防波堤の横の砂浜から、、


静かに波の音が聞こえた。

ほぼ全部のことは忘れているのに、、

加太の海の風景は憶えている。

しばらくしてみんなで来た道を戻り、、

大阪には夕方に到着した。

みんな無事に帰ってきてなによりだった。




それから5年くらい過ぎたころ、、

付き合っていた彼女がいた。

神戸に住んでいて、、

少し年上だった、、

年上の女性が、大人に見えた、、

そんな時期だった、、

日曜日の朝、加太の海に行こう、、そんな約束をした。

朝6時に車で神戸まで迎えに行った。

自分の車は三菱のミラージュ、、

当時エアコンはオプションで10万くらいしたので装備してなかった。

なので友達の軽を借りた。

朝5時くらいに起きて神戸に向かった。

当然携帯はない時代、、

神戸に着いて彼女の家に電話する。

家族がでて、、、


まだ寝ているという、、

起きてきた彼女はごめん、ごめん、とあやまっていた。


なんか、、、

無性に腹が立って、、、、

なんで寝てるん??

車で1時間くらいかけてきて、、、

なんだかばかばかしくなった、、


若かったんだろうなぁ、、、

怒ってたもんな、、オレ、、

そもそも神戸まで迎えにいって、、

折り返して和歌山まで行って、、

折り返して神戸まで送り返す、、、


今考えると無謀な計画だったんだと思う、、

イライラしたまま、、

和歌山に向かった、、

みさき公園の手前当たり、、


車は渋滞しては進み、、を繰り返していた。



そのさなか、、

信号で停車した車に激突した。

2台を巻き込む多重衝突だった。



幸い、相手の方にけがはなく、、自分たちも無事であった。

友達から借りた車はエンジンルームが潰れてしまい廃車となった。

結局自分の車を売って友達には弁償した。






あの頃、、、


彼女は今も元気だろうか、、

ほんの些細なことで怒ってしまって、、

ごめんなさい。

嫌な思いしたでしょう、、


こんなことも忘れてしまったかもしれませんね?

もう、ずいぶん時が過ぎてしまったけれど、、


あなたのことを時々思い出します。

小さくて可愛かったあなた、、

今も元気でいることでしょうね。










昔の話です、、





















わからないことばかり、、、

2023年02月09日

Posted by ryu at 12:00 Comments( 0 ) 人生





この世の中はわからないことばかりだ、、

わからないことだけで出来ている、、と言ってもいい。


あー、、わかったわ、、とか

そうだったんだ、、、とか

すべて理解した、、とか、、


何度も何度もつぶやいた記憶がある。


そうやって人生を分かったつもりになったことが、、

何度もある、、



でも、、

今になって思うんですが、、、

毎日毎日、、

新しいわからないことが追加されて、、、


今までの人生でつぶやいた、わかったことの総数が、、、

相対的にほぼカウントできないくらいちいさくなってしまい、、

結果、、


わからないことに埋め尽くされてしまう、、、


この世の中には、、

すべてわかった人などいない、、

一部わかっただけか、、

分かったと思っている状態の人か、、

あるいは分かったと誤解しているひと、、


そんな感じの人がいるだけだ、、


そう考えると、、

いろんなところで人生相談やってる人とか、、

したり顔で話している人は、、

一体どういう思いでやってるんだろうか、、と思う、、

多分その時には、、

自分は理解している、、わかった人と、、

そうおもってやっているんだろうけど、、


月日が経つと、、、

僕が感じたように、、


あれっ?


俺やっぱりわかってなかったわ、、、

てなことになるんだろうか、、


いや、、、なるよね、、


もしくは、、

わかってないことを認めると、、

自分の今までの人生がすべて意味のない物になってしまうことへの恐怖から、、


自分がわかってなかった、、

というのを認めないかもしれない、、



なんかね、、、


この年齢になって、、


あー、、俺なんもわかってなかったわ、、とか、、


分かったと思ってたのに、、


世の中わからんことだらけじゃん、、って、



思うと、、


虚脱感と共に、、

すこし笑えてきます、、


もうこの先人生そんなに残ってないのに、、



もう、、


わかりきることは、


難しいな、、


と思う。







もう、、



わからなくていいから、、


残りの人生、、

楽しく過ごしたい、、



そう思います。
















あの頃・3

2023年02月08日

Posted by ryu at 11:30 Comments( 0 ) 人生




THE BLUE HEARTSを最初に見た時には衝撃を受けた、、

楽器もなんもできなかった音楽に疎い男だったが、、



1980年代後半、、自分は20代半ばくらいだったろうか、、

毎日バイトと夜学で疲れ果てていた。

23時前に帰ってくると、そのころ夜食の定番になっていた麻婆豆腐丼を10分で作ってかきこんでいた。

テレビをつけると、、多分NHKだったと思うが、、

金髪の短髪でやせた男がくねくねしながらステージにでてきたところだった、、

当時の音楽は愛だの恋だのがオンパレードの状態で、、

メッセージソングは1970年代のフォークソングと共に衰退していた、、



愛だの恋だのに辟易していた自分は、、

なんで日本ではメッセージソングが育たないのだろう、、、

と思っていた。



そんなある日の深夜、、

14型TVの小さな画面の中にその男はいた、、



バラード風のメロウな出だしと共に、ドブネズミみたいに、、、、

と、始まった、、


正直すごいのがでてきたな、、とおもった。


東京ではライブとか出ていたんだろうけど、、


当時大阪では見たことがなかった、、


いや、、多分、、

僕が知らなかっただけだろう、、






そのころどういういきさつで再開したのか憶えていない、、

中学の同級生の女性と再会していた、、


付き合ってたわけでもないし、、

好意を持っていたわけでもない、、


ふつうに周りにいた普通の女子だった。

その1年くらい前に雨の日に難波の駅で偶然見かけたことがあって、、

もしかしたらその時に連絡先を交換していたのかもしれない。


彼女は小さくて、目がくりっとしていて、涙袋がある女子だった。

ふつうに話もしたけど、、個人的にあうこともなかったし、、

中学を卒業してからは、その雨の日まで思い出すこともなかった。


夜に難波駅前の交差点で傘を持って歩いている彼女を見かけて、、

話しかけようと追いかけていった、、

までは憶えている、、


そのあと誰か知らない男と話していたような気もするが、、、

それならば声をかけなかったと思うので、、


そのあとどうやって連絡を取り合うようになったのか、、

憶えていない、、


忙しい毎日の中、BLUE HEARTSのレコードをレンタルレコード屋に借りにいき、、

出ていたアルバムを全部カセットにコピーして毎日毎日ウォークマンで聞いていた、、

どの曲も若者に向けたメッセージソングだった、、



どうやって生きていったらいいかわからない若者に、、

そのままでいいんだよって、言ってくれる、、


そんな感じの曲が多かった、、



ある日僕の部屋で彼女と会っていた、、

中学卒業以来で、、


彼女はまだ幼さが少し残った、きれいな女性になっていた、、、


いろんな話をしたと思う。

当時僕は人生を熱く語る男で、、

何にもないけど、熱い思いだけがあった、、


話し相手は男でも女でも、、

人生そのもの、、


生き方そのものについて話していた、、

今思うと、、


なんであんなに熱かったのか、、、

と思います。




彼女は福岡の人と結婚して、すぐ離婚して実家に戻ってきているところだった、、

いろんな話をした、、


自分は海外にでていろんな人と会って話して、、

世界観が広がった話とか、、

そんな感じで、、

止まっていてはいけないよ、、

みたいな感じで、、

熱く彼女と語りあった、



彼女には、なんで離婚したの?

とか、、

なんか今でいうモラルハラスメントみたいな感じだったと思う。

DVではなかったけど、我慢できなくなって別れたらしい、、


あまり元気のなかった彼女と話している間中、、

部屋のコンポからはBLUE HEARTSが流れていた、、

ずっと、、、




帰り際、彼女がBLUE HEARTSのカセットを貸してほしい、、

そういった。



何本か貸してあげた、、



それが確か夏が終わって、秋が始まろうとしている時だった、と思う。


時々電話で話すようになっていた、、

冬ごろになって電話で話すと、、


BLUE HEARTSの大ファンになっていた。

ファンクラブにも加入して何回もコンサートに行っている、、

そんなことになっていた。

すごー

でもよかったわ、、


教えてあげて、、



年が明けて僕は沖縄に移住する準備を進めていた、、

いろんなことが重なって毎日が多忙を極めていた。

彼女からは何度も電話があり、、

会って話がしたい、、

そんな感じだったが、、

時間が作れなかった、


何度も会いたい、、って言われてた気がする。


もう会えないな、、


そう思っていた。




そしてとうとう沖縄に出発する日の前日、、

部屋の中で片付けをしている最中、、


ドアのベルが鳴った、、


ドアを開けてみると、、


彼女が立っていた、、



多分沖縄に出発する日のことは話していたんだと思う、、

どうしても会いたくて、、


そう彼女は言ってくれた。

部屋の中には手伝いに来てくれた友人たちがいたので、、


外階段の踊り場まで行った、、


何の話をしたんだろう、、、

どんな顔で彼女を見つめていたんだろう、、


何にも憶えていない、、





でも憶えていることがある。

時間が来て、、彼女を返そうとしたとき、、


彼女が両手を広げて、、ハグして、、って言った、、

ちょっと恥ずかしそうに、、



僕は小さな彼女を正面から抱きしめた、、

数秒間、、、、

少し、ぎこちなく、、、

彼女の首の暖かさを今でも感じることができる、、




なんで俺は、、いつもこうなんだろう、、

なんで、

もっと、、、


こう、、、


相手を思う気持ちを持って、、、、


接してあげなかったんだろう、、、





あの頃を思い出すと、、


いつもそんな風に思う、、












遠くの昔にあったこと、、



























あの頃2・3

2023年02月07日

Posted by ryu at 11:30 Comments( 0 ) 人生




彼女の肌着が、ベッドと壁の間に落ちていた、、、






そのあと彼女とは何度か会っていた、、

その全部を想い出すことはむづかしい、、

まるでフラッシュのように切り取られた瞬間だけが残っている、、

彼女は料理が得意だ、、、と言った、、

自分は一人暮らしをしていたので、僕の部屋で作ってもらうこともできたはずだが、、

記憶の中では、彼女が僕の部屋に来て料理をつくったことはない、、

ただ一度家で作ってきたという中華ちまきをもらったことがある、、

竹の皮かなんかに巻いてあるあれだ、、

もち米にごま油の香りがした、、、

美味しかった、、、

美しく、、料理も上手、、、

今思えば、、なんで付き合わなかったのか、、、不思議だ。


彼女の過去が、、気になっていた、、、、

多分そうだろう、、


いや、確かにそうだった。



季節は冬だった。

夕暮れは早く、夜学を終えて夜遅くアパートに帰ってくる、、

真っ暗な、、誰もいない部屋に入るのはとても寂しい、、

この感覚は、一人暮らしを経験したことのない人にはわからないことだと思う。

この寂しいという感覚があればこそ、出会いを求めて部屋を出ていけるんだと思う、、


以前ミナミに彼女と飲みに行って、、

帰りのホームで彼女が帰りたくない、、、といった、、

そのあと何度か飲みに行った、、


その何度目かの飲みの帰り、、

彼女が家に帰るためのホームにいた、、、


自分たちが乗った電車がホームに到着し、、

彼女は向かいのホームに停車している自分家に向かう電車に乗る、、


ドアのところに立ってこっちを見ていたが、、

ドアが閉まる寸前、、


またもや彼女は電車を降りた、、、

いたずらをした子供のような困ったような笑顔で、、

僕を見ていた、、



いいよ、、、

一緒に帰ろう、、

今日は泊っていいよ、、



そんな感じで、、



家に帰る電車に乗った、、、




部屋は氷のように冷たかった、、

シャワーを浴びたのか、何をしたのか、、


ドアを開けてからの記憶はもう、、、ない。

僕の記憶は暖かいベッドの中で彼女と横になって抱き合ってるところから始まる、、

お互いベッドの中で向かい合って横向きになって顔を見ていた、、


彼女の上着を脱がすと、、肌にぴったりとしたウールの肌着を着ていた、、

肌着の色は薄い藤色だった、、

二枚重ねで着ている肌着を脱がした、、

いろんなことを忘れているし、、

彼女と何を話したのかも忘れている、、


なのに、、

ベッドの中で二人になったことは憶えている、、


僕は彼女を、、抱いた、、、、




でも、、


うまくいかなかった、、


身体と頭の調整がうまくいかなかった、、

20代の男が、、

美しい女性を抱いて、、

うまくいかない、、


そんなことはないだろう、、

でもそのとき、僕の体はバグッてしまった、、





抱くことを途中でやめた僕は、、

そのまま彼女を抱きしめて、、

眠った。



翌朝目が覚めると彼女はまだ僕の腕の中にいた、、、

暖房は消して眠るので、、


朝の部屋の空気はキーンと張りつめたように冷たい。

白い木綿のカーテンが太陽の光で暖かく照らされていた。

布団から出るときに昨夜僕が脱がした彼女の肌着を探した、、





彼女の肌着は、ベッドと壁の間に落ちていた、、、

いろんなことを忘れているのに、、


そんなことだけは憶えている、、

たくさんの肝心なことを忘れているくせに、、、


そんなことだけは憶えている、、




そのあと、


僕と彼女は着替えてから部屋を出た。

朝からゆっくりだったから、、多分日曜日だったんだな、、


彼女を送る駅までの道をゆっくり歩いた、、



彼女がつぶやいた、、

昨日最後までいかなかったよね?



うん、、


僕は答えた、、







冬の朝はとても気持ちよく晴れていた。


青空が高く、澄み切った冷たい空気が僕たち二人を包んでいた。













それからの彼女との記憶は、、、


ない、、
















end














あの頃2・2

2023年02月04日

Posted by ryu at 12:30 Comments( 0 ) 人生



初めて時間をかけて二人でいろんな話をしたあと、、、

彼女は何故だか、、僕に興味を持ってくれた。




そのあと、男女としての付き合いはないが、電話で話すようになった、、


当時携帯電話がなく、固定電話でのやり取りをした。

時々選挙カーに乗ってウグイス嬢をしていること、、

実は20歳くらいで結婚して、すぐに離婚していること、、

相手は従弟のカメラマンだったこと、、

結婚してもずっとSEXレスだったこと、、


そのほかにも同級生の話や仕事の話なんかもした、、

会社に勤めているという感じではなかった。


彼女は美しかったが、、、

どうにも僕のストライクゾーンには入って来なかった。


第3世界のカルチャーショックにどっぷりとはまっていた僕には、、

彼女の上昇志向というか、華々しさに憧れてキラキラしている目にどうしてもついていけなかった。

20代で清貧の生活に魅力を感じていた僕と、、

煌びやかな世界に目を向けている彼女との間には深い河が流れていた、、、


そんな彼女がなんで僕に興味を持ったのか、、

今でもわからない、、



昼間はバイトして、夜学の毎日は続いていた。

忙しい毎日だったが、頭の中は次の旅行の計画でいっぱいだった、、。

当時、夜学が休みに入ると夜に学校に行かない分、普通の人と同じ時間を過ごすことができた。

今では考えられないが、

20代は寝なくても遊び続けて次の日も仕事ができた。



冬になった。

ある日彼女と難波の中央改札口で待ち合わせをした。

飲みに行こうよ、、、

そんな感じだったと思う、、

携帯もない時代、待ち合わせは大変だった、、

改札のところには掲示板なんかがあって、メッセージが書けるようになっていた、、


土曜日夜の難波中央改札口は人であふれていた、、。

改札口を出て彼女を探した、、

一通り眺めると、、、突き当りの壁に彼女が立っていた。

ちょっとドキッとしたし、、

すげー格好だな、、と思った。

彼女は細く格好の良い足を短いスカートとブーツに包み込んで、、

ヒョウ柄の毛皮に身を包み、、

頭には同じヒョウ柄のハットをかぶっていた、、、


1980年代のバブル真っ只中のヒョウ柄おんな、、、

ヒョウ柄おんなと週末土曜夜の大阪ミナミの街、、


大丈夫だろうか、、今日は、、


少しだいぶん心配した、、、


20代で清貧の生活をめざしてる男に、ヒョウ柄の毛皮にヒョウ柄のハットのおんなは荷が重い、、、

なんか少しの居心地の悪さを感じながら、土曜の夜のミナミの街にでていった。


心斎橋には人がうようよいて、アーケードのスピーカーからは浜田省吾のもう一つの土曜日が静かに流れていた、、、

食事はお寿司かなんか食べたような気がする、、

小さなお寿司屋さんで、

法善寺横丁の角にあったと思う、、、

そのあとBARに入って飲んだ、、、

何を話したのか、、思い出せない、、


彼女と一緒にいた景色の記憶はあるのに、、

なぜだか彼女と話をした記憶がすっぽりと抜け落ちている。


お酒を飲んで、法善寺界隈を散歩して、23時くらいの電車に乗って帰ることになった。

凍えるように寒かった、、

終電はまだある。



難波から高野線に乗る、、

彼女は途中の駅で乗り換えることになる、、

その駅に着くと向かいのホームには彼女が乗る電車が止まっていた。

彼女はホームに降りて電車に乗った、、、

彼女の電車が先に出発する、、

車掌の笛が鳴り電車のベルが鳴る、、

ドアが閉まる寸前、、

彼女はドアから降りた、、、

電車はドアが閉まり彼女を残して、、、出発した。





うそだろ??

えぇ?、、、




彼女は帰りたくない、、、そういった。



彼女の何がストライクゾーンでなかったのか?

20代の自分は女性に対してある意味潔癖だったかもしれない、、、

高校生のあの時、、

帰り道で年上の大学生に車で迎えてもらった彼女、、、

高校生の自分の知らないところで男性と過ごしていたであろう日々、、、

そして20歳の若さで一度結婚して離婚している過去、、、

僕のどっぷりはまってる第3世界とはかけ離れたルックスと表情、、、

どう考えてもうまくいくはずはない、、、

だって僕はそっちの世界にはいくことがないから、、

若くして一度離婚を経験した彼女に2回目は経験させたくはなかった、、、




しばらく押し問答した挙句、、

次の電車に彼女を押し込めて家に帰した、、、

少し困ったような、、

悲しそうな彼女の顔が忘れられない、、、













continue,,,












あの頃・2

2023年02月03日

Posted by ryu at 12:30 Comments( 0 ) 人生



その彼女を初めて意識したのは放課後の校門前だった、、

17歳の頃だったと思う、、

同じ高校だったので1年の時からいたはずだけど、、


あまり意識したことがなかった、、クラスは別だったし、いや、見たことはあったが話すことはなかった、、


その日授業が終わって校門を出てしばらく歩いていると、

道路の反対側を彼女が友人と二人で止まってる車に向かって走っていた。


多分車には大学生の彼氏なんかが乗っていて、迎えに来ている、、

そんな感じだった、、

そのころは放課後、学校の近くの道路に何台か車が止まっていてそんな光景を見ることが時々あった。

冬だった、、

彼女は細い足に黒いタイツを履いていた、、


黒いタイツの彼女が笑いながら車に乗り込むその光景がなぜか記憶に残っている、、

彼女は小顔で、美人だった、、

学校の中でも溌剌として校内ヒエラルキーの上位のグループに所属していた、、

僕はいまでいう陰キャではなかったが、校内では関わることも話すこともなかった、、

ちょっと話すには勇気がいる、、

そんな感じの女子だった。(ここのところは、男にはわかることだと思う笑)



20歳を過ぎて、、

なんというのだろう、、

砂漠の真ん中を歩いているような、、

方向感のない毎日を過ごしていた、

どっちに歩いていけばいいのか、、

全くわからなかった、、

でもこのままじゃいけない、、

そんな焦りがある毎日だった、、

仕事をしながら夜学に通っていた。

朝から夕方まで仕事をして、それから夜学に通っていた、

帰ってくるのは毎日夜の23時前だった。



いつ頃だろう、、

23歳のころだろうか、、

高校時代の友人が同級生と結婚して、BARを貸し切って披露宴パーティをした。

校内ヒエラルキー上位のパーティだったがその中に友人が何人もいたので僕も呼ばれた、、

とにかくお金がなかった、、時間もなかった、、

スーツ買うお金もなかったし、、

それが必要だと思う頭もなかった、、

当時の僕は第3世界の国に視野が向いていて、この世界の常識には全く興味がなかった。

パーティに行くと、あたりまえだが、全員おしゃれなスーツで決めていて、、

ジャンバーで決めていたのは僕だけだった。


その時自分がどう思ったのか、、

どう感じたのか、、

なんとも思わなかったのか、、

全く憶えていない、、

何故だか白黒フィルムを入れたカメラを持って行って、、

写真を撮りまくっていた。


以前その時に撮影した写真を見て自分の服装を想い出したくらいだ。

そのパーティに彼女も来ていた、、

自分はそのころ第3世界の国を半年間放浪してきた後で、、

周りにいた友人たちとは人生に対する考え方が全く違っていた、、

旅の後のカルチャーショックにまみれていた、、



そのパーティで彼女となにを話したのか、話さなかったのか、すべて忘れてしまった。

実をいうと、、パーティで彼女を見た鮮明な記憶がない、、

なのに何故彼女がパーティに来たのが分かるかというと、、

その日自分は兄の車を借りて会場入りしたんだけど、、

帰りの車に彼女が乗っていたから、、

途中で僕が帰ろうとしたとき車で来たなら送ってくれない?

って言われたからだ。


彼女はさらに美しくなっていた。

小さな顔にぱっちりの目、、

整えられた細く濃い眉毛、、、


今から思えばうちなー顔だった。、、、

黒く長くうねるような髪を揺らしていた、、

全く僕とは住む世界が違う世界の住人だった。


帰りの車の時間、、いろいろ話したんだと思う。

高校時代から全く接点のなかった二人だったが、、

初めて接点ができた。

二人きりで話をした、、、、、


前にも書いたが、、

当時の自分は女性の友人が多くて、性的な関心より、、

将来の事とか、自分の考えを話す友人関係として女性と付き合っていた、、、


その彼女にも性的な関心はなかった、、、



初めて時間をかけて二人でいろんな話をしたあと、、、

彼女は何故だか、、僕に興味を持ってくれた。













continue,,,
















あの頃・1

2023年02月02日

Posted by ryu at 11:18 Comments( 0 ) 人生



20代の初めのころ、旅行が好きで毎日旅に出ることだけを考えて生きていた。

旅行が好きで、、というのは正確にはニュアンスが違う、、

毎日生きていく事への不安、、将来への不安、、自分がどうなるのか、、

そんなたくさんの不安を抱えながら満員電車に詰め込まれて生きていると、、

どうしようもなく今自分がいる場所から逃げ出したくなる、、

本当の自分はここにはいない、、

そんな気持ちで旅行に行くというより、、、


旅に出ていかざるをえない、、


、、、、そんな感じだった。

北海道を1か月歩きとヒッチハイクでテント泊のみの旅行をした。

今でいうキャンプブームなんてものはなかった。

フレームのザックに寝袋・ストーブ・コッヘル・テントすべてをぶち込んで旅をした。

初日に足裏にマメがたくさんできたのを憶えている、、


1か月の旅を終えて札幌から電車で東京を目指した。

とにかく金がなかったので行きも帰りも青春18きっぷを使った鈍行の旅だった、、

青森あたりで4人掛けの座席の空いていた向かいの座席に,同い年くらいの女性がスーツケースを持って座った、、

たぶん自分から話しかけたんだと思うが、、

東京までの間いろいろな話をしたと思う、、

彼女はブラジルに移民した日本人の孫で、おじいさんの故郷で日本文化の勉強をしに来ている、、

そんな感じだった、、

彼女は片言の日本語で、僕は片言の英語で、、

朝までいろんな話をした、、


朝、上野駅に着いた時彼女が頭が痛いので薬局でカフェインの錠剤を買いたいと言った、、

当時カフェインの錠剤なんて買えると思ってなかったので、ないと思うよって言ったけど、、

薬局に行ってみるとすんなり買えて少しビックリしたのを憶えてる、、



旅を終えてアパートに戻ってくると、、

旅で会ったいろんな人や、体験したたくさんの事と現実世界とのギャップに毎日戸惑っていた、、

腕に力が溜まる、、、そんなことはなかったが、、

もう少しの間、この都会の満員電車に耐えられそうな、、そんな気がしていた。



その年の秋、文通していた彼女が自分の街に遊びに来てくれた、、

ほかの友人にも会うつもりでいるので一泊だけ部屋に泊めてほしいということだった、、

当時、友人関係にある女性は何人もいたし、女性を部屋に泊めることは普通だった、、

その時だけの男女の関係になるよりは、友人として、いろんな話し相手になってくれるほうがよかった、、


もうどうやって駅まで迎えて、、何を話して、何を食べたのか、、

すべて忘れてしまった、、



憶えているのは、、


食事のあとお風呂に入って、安いワインかなんか飲んでいたと思う、、

、、寝るときになって、、

ぼくのベッドは彼女に寝かせ、自分はベッドの下に布団をしいていた、

布団の上でうつぶせになっている僕の腰のあたりに彼女がまたがって座ってきた、、

彼女の重みと暖かさが僕の背中を覆っていた、、、

パジャマとして貸してあげたグレーのスウェットをはいていた、、

その時彼女が何を話したのか、僕が何を言ったのか、今はおぼえていない、、

ただ、自分がうつぶせの体制から仰向けになると、、


その先はそういう関係になるだろうな、、とその時思ったことは憶えている、、

遠い南米から一人でこの国にやってきて、、

寂しかったのかもしれない、、




自分は仰向けにはなれなかったけれど、、、、、



次の日の朝、彼女は部屋を出ていく前に、いつかやりたいことが一つあると言った、、、、、




シャイな僕と駅のホームでキスをしたい、、、そう彼女は言った、、




もう一泊していかない?と誘った僕に笑みを浮かべた彼女は友達のところへ行ってしまった、、






そのあと数年して帰国した彼女とも文通していたが、、


よくあるように、、



いつの間にか手紙は途絶えてしまった。
















23歳くらいの頃の出来事、、










今年も終わり、、、

2022年12月19日

Posted by ryu at 15:51 Comments( 0 )



今年ももうすぐ終わります、、

今年もコロナコロナの一年だったが、、

3年近くコロナと共に過ごしたおかげで失ったものは計り知れない、、

失ったもの、、

人間関係、、

経験、、、

コロナ初期のころはそう感じなかったが、、

さすがに3年近く自粛生活を強いられると、、

失くしてしまったものに気づかされる、、

もういちいち患者数を数え上げて毎日毎日TVで放送するのをやめましょう、、

って数か月前に政府が決めたはずなのに、、、

いまだに毎日毎日患者数を数え上げて、、

医療がひっ迫していると、、Tvではアナウンサーがはやし立てている、、

感染対策専門のTVでは見慣れた医師が来年1月には患者が爆増するでしょうと話している、、

沖縄では幸か不幸か、、

世界最悪の感染率を3年近く生き抜いてきたおかげで、、

集団免疫を獲得してしまい、、

いまや感染率は日本で最低になっている、、

あのインドや南アフリカ、ニューヨークよりも感染率の高った沖縄、、

まぁそれはそれですごいことだと思うが、、、

いままで感染率の低かった地域がコロナウィルスの猛威に晒されてしまっている、

沖縄も若干増えてはいるがなんとなく800人くらいのところで行ったり来たりしている状態、、

世間では忘年会が普通に行われていて、、

庶民の間では、、マスコミのコロナ煽りの放送とは少しずれている感じがする、、


そう、、失ってしまった経験値、、

失ったものを取り戻すことはできないが、、、

新しい年には、、たくさんの経験をしてみたい、、

人生の残りが少ない身としては、、、

経験できる日常を大切にしたいと思う、、

人生を経験して、、高齢者になってみると、、

なんとなく昔の記憶を思い出すことがよくあります、、


皆さんもあるのだろうか、、

10代のころ、、20代のころ、、

若かった時代のころを思い出します、、

あの頃の友人、、

あの頃の彼女、、

あそこで会って、、あの店に行って、、

お酒を飲んで、、いろんな話をした、、、


私が思い出すように、、彼女たちも思い出しているのだろうか、、、

思い出は自分の良いように蘇るので、、、

自分にとってはいいことばかりしか思い出さない、、


そういえばこの間地元に戻った時、、

子供のころ通いなれた公園のそばの道を歩いていた、、

公園では地域の役員のおじさんたちが秋祭りの準備をしているところだった、、

公園の横を過ぎようとしたとき、おじさんの一人に呼び止められた、、

自分の名前を呼ばれ振り向くと、、

そこには知らないおじさんが立っていたが、、

話してみると中学生の時とても仲良くしていた友人だった笑

あまりの変わりように驚いたが、、よく自分のことを気づいてくれたもんだと思った、

40年ぶりくらいの再会でとりあえず次の日に会う約束をした、、

翌日彼の家を歩いて訪ねて昔の思い出話に盛り上がったが、、

彼が次々と話す私についての思い出話のほとんどを、、

自分には記憶がなかったことに驚いた、、

あの時お前はこんなことをしていた、、とか、

こう言ったよね、、とか

たくさんの自分の知らない自分のことを話してくれたのがうれしかった、、


20代の、、

あの頃のたくさんの友達や、、

好きだった彼女たちに会って話してみたい、、


そして、、


いまはもう忘れてしまったあの頃の、、


たくさんの自分に会ってみたいと思います、、










そんなときが来るだろうか、、







来るよね、、





















ほんとうに?

2022年10月21日

Posted by ryu at 11:35 Comments( 0 )




沖縄を特集している雑誌をみると、、おっ!となる、、

表紙には沖縄の赤瓦の写真なんかがあり、、

移住者としては心そそられる、、、

タイトルには、知らなかった沖縄、、、とか、、

琉球に魅せられて、、、とか、、

それはそれはそそられるタイトルがつけられてある、、、


ページをめくると、、最初のほうには高級な鞄やアクセサリーの広告なんか載っていて、、

ちょっとしたリゾートっぽさも感じさせる、、、


皆さん知らないでしょう?

沖縄の地元の人たちが受け継いだ生活の知恵、、、みたいな感じで、、


生活に密着した琉球文化、、、

いろんな言葉が躍る、、


最初のページには沖縄出身の女優とかモデルが地元を訪ねたり、、、とか、、

きれいな海に美しい空、、、


ページが進むと、、、

やがて移住者の特集になる、、、


東京やニューヨークで活躍した誰それが、、数年前に沖縄に移住、、

御嶽やパワースポットの近くに広い土地を購入し、、

琉球石灰岩や赤瓦の家を建て、、、

暮らしている、、


ヒーリングによくてパワーが感じられて、、、

沖縄の地元でとれた食材で毎日を健康に暮らしている、、

そのうちコスメかなんかのプロジェクトを立ち上げ、、うんぬん、、



さて北部では、これまた内地のいろんなシーンで活躍したあとやんばるに移住、、、

大きな家を建て、、野菜やハーブを育てる、、、


内地や世界で活躍したいろんな人たちが沖縄にやってきて、、

広い土地を買い、、好みの家を建て、、沖縄の生活を楽しんでいる、、

沖縄の地元の言い伝えを大事にし、、

地元のおばぁやおじぃと交流し、、、、、


、、、




なんだろう、、、



沖縄の特集された雑誌を読むのは好きなんだけど、、、


なんだろう、、

この気持ちは、、



そう、、


沖縄の人たちは、、、


たぶん、、、



ほとんどの人たちは、、


そういう暮らしをしていない、、、


貧困率日本一で、、、


離婚率もそれくらいで、、


若年シングルがとてもたくさんいて、、、




みんな、、結構生活は大変だと思う、、、


もちろん雑誌だから、、、


夢のあることや、、、


頑張っている人たちを取り上げるのはいいことだ、、



でもあまりに地元の人たちとかけ離れた経済を持ちながら、、、


いかにも地元に溶け込んでいる、、、


みたいな感じを正面にだされると、、、



うーん、、


なんかな、、、



って思う、、



もう少し目線下げてもらえませんか?笑




誰もそんな生活してないよ、、、



ここ沖縄では、、、




と思う、、、











どうでもいいことだけど、、


















こんな感じだよね、、人生って

2022年10月19日

Posted by ryu at 12:00 Comments( 0 ) 人生



大人になってからはなかなか友人が出来ない、、、

そんなことが巷で言われて久しい、、

自分が20代くらいのころから聞いているが、、

この年代になっても時々雑誌なんかに書かれていることから、、

本当のことなんだろうと思う、、

そうじゃないよ、、

自分次第だよっていう人もいるだろう、、

でもまぁ、大体はあってるんじゃないかなと思う。

確かに成人してから社会生活の中では、

学生時代のような友人関係を容易には気づくことが出来ないと思う。


沖縄に来てなんやかんやで30余年、

思えばすごい時間が過ぎたと思う、、


昔、、20代のころ、、

人生について真剣に考えていた、、

どう生きるべきか、、とか、、

社会はどうあるべきか、、とか、、


常にそんなことを考えていて、、

また、友人とも毎週のように議論した、、

男も女もまじって、、


誰かの部屋で、、

夜中から朝まで酒を飲みながら、、

一晩中話してた、、


自分は20代後半で沖縄にやってきたので、、

その後の彼らがどのように生きたのか、、しらない、、


今のようにSNSがあるわけもなく、、

完全アナログの世界であったので、、

いったん連絡をとらなくなると、

それは永遠に連絡が取れない、、、

ということに繋がる、、、


そもそも友人の実家すらなくなっているということが

珍しくない、、

あの頃、、


自分は高校を卒業すると、、新しい世界に目が向かうようになり、、

育った町から都会にその興味の先を移していた、、

遊ぶにしても、、

バイトするにしても、、

地元を出て、、一時間くらいかかる街中で行動していた、、

そこには同じように地方から出てきたり近くの町から出てきたりした、、

同じような連中がたくさんいて、、

その中で偶然気の合う知り合いができると、、

あとは芋ずる式に似たような連中と知り合った、、


あの頃、、

バブル前夜だった大阪の街で、、

華やかな世界とは全く違う方向を歩いていた自分たちは、、

街の中では少数派だったと思う。

ほとんどの20代若者が男女交際をメインにやれイタ飯だのディスコだの、、

雑誌の世界に翻弄されて毎日を暮らしていたはずだ、、

女性ははやりのワンレングスの長い髪を憂鬱な仕草でかきあげながら、、、

オープンカフェでひとり文庫本なんか読んでた時代だ、、

コンクリート打ちっぱなしのジャズ喫茶でコンクリートブロックの上に置かれたプレーヤーから流れる音楽、、

みんなたばこを吸っていた、、


みんな、、

何か思って生きているように見えた時代だった、、

ほとんどの人がそう、、、見えただけの時代だった、、



そんな中、、僕は沖縄にやってきた、、


たくさんの話せる友人たちを置いて、、、

また別の物を探しに来たわけだ、、



沖縄では20代のころには知らなかった生活というものを知り、、、

あの頃の生き方をどこかしら、、

知らないうちになくしてしまった。


でも、、

家族を持ち、

なんとなく生活というものの落ち着いた味を知ると、、


なくしてしまったものは、、どうでもよくなったし、、


いつの間にか忘れてしまっていた、、、



最近ある人が書いているエッセイを読む機会があり、、

そのうちそのエッセイのまとめた本まで読んでみた、、、


エッセイなので、まぁどちらかといえば、、


脚色はされているが、、

まぁまぁ自伝的なことが書かれてある本だった。


著者は40代後半のいままで東京暮らしで独身の男性、、


いろんなことが書かれてあるが、、


まぁあの頃、、20代の自分がそのまま40代まで続けていたらこんなだったろうな、、、

という内容だ。


そのエッセイの中ではたびたび友人関係の男女と、、

人生についての軽い会話が描かれる、、


人生についての思い、、、


20代のころのような、、熱いものではなく、、


もっと、、

なんとなく、、、


こんな感じで、、、


みたいに、、、






なんか、、、


少しうらやましかった、、



そんな今の年齢になってでも、、

人生について、、


ふと思ったことを、、、


なんとなく口にできる友人関係、、、


いや、、友人関係でなくても、、


長い付き合いの知り合い関係でもいい、、、


ふと思った人生についての事実を、、


話せる関係性があることが、、


うらやましいな、、、、って思った。



自分はいつの間にか遠くに置いてきたものだけど、、、


良いな、、、って思った。





でもこうもおもったんですよ。


こういう人生についての思い、、



一言口にするにはその数倍のことを経験していないと、、


言葉にならないだろうなって、、、


そういう意味では、、



そういうことが成り立つのは、、


やっぱり都会だからかな、、、


とも思う。


東京や大阪、、、



渦巻く人間関係に疲れ果て、、、


疲れ果て、、



そんななかで、、ほろりと出てくる言葉なんかな、、、と



思いました。







人生について、、



こんなことだよね?  人生って、、



なんて感じで話せる人、、




この年になってから、、





この沖縄で、、





見つかるやろか??















、、












わからない、、

2022年09月29日

Posted by ryu at 16:34 Comments( 0 ) 人生



わからない、、


わからないことがたくさんある、

昔若かったときは、たくさんのわからないことがあった、、

でも年を取るにつれてわからないことは少なくなり、、

いつしかわかることが多くなった、、

そのうちわからないことがなくなり、、

わかることばかりになるんだと思っていた、、


年を取って、、やがて60歳になろうかという年齢になり、、

最近わからないことがときどきでてきた、、


いや、

わかってたつもりのことが、

実はわかっていなくて、、

わかったような感じになっていただけだったのかもしれない、、


わかったこと、、、

それは普遍的なものであると自分が勝手に思っていただけで、、

そんな普遍的なものではなく、、

実は無常なものであったのでしょう、、


若い時のわからない、、、は、、

それから先の人生に彩をあたえてくれ、、

理解する喜びすら与えてくれる、、

しかし、、

年齢を重ねた今のわからないは、、、


少々の不安と、、

もうどーでもええわっ・・・

などと少し投げやりな感情を与えてくれる、、

もう、、自分には時間がないので、、

わからないことを追求するために、、


たくさんの本を読んだり、、

あちこちでかけて行って、、

いろんなものを見てきたり、、


経験したりすることは出来ないだろう、、


これからの人生は、、


いつの日か若かったときに感じた、、


わからないことがなくなっていき、、

わかる事ばかりになったあの日の反対で、、



わからないことばかりになってしまいそうな気がします、、



人生はもしかしたら、、


わからないことだらけなんじゃなかと、、



この年になって、、



そう思うようになりました、、



人間、、



そんなもんですね、、、

















、、、






30年ひと昔、、

2022年09月06日

Posted by ryu at 12:30 Comments( 0 )



その昔、、10年ひと昔という言葉があった、、、

今の50代以上の人は子供のころから聞いていた言葉だろう、、


いやっーもう10年もたったのか、、、ずいぶん昔だね、、、

すっかり変わったねー、、、

そんな感じで使ってたんだろう、、、

50代に突入して60代を迎える今になると、、

10年なんてついこの間のことで、、、

とてもじゃないが昔のこととは思えない、、

20年位前のことが、この間のように感じるんだから、、

このあたりの感覚は同世代の人には伝わるのではないだろうか、、

20代や30代の方たちには難しい感覚だと思います、、


さてそんな時間感覚をもった60代のおっさんには、、

ひと昔というのは30年位前のこととして感じます、、

そう思ういちばんのきっかけ、、

それは、、

自分は30年以上前に20代後半で沖縄にやってきたのですが、、

子供にも恵まれ、、健康にも恵まれ、、

いや、恵まれないこともいろいろありましたが笑、、

その子供が、自分が沖縄に来た時の年齢と同じ年になってからそう感じるようになったのです、、

あの時の自分、、、

若くて、、

元気で、、

一直線で、、、

何も不安が無くて、、

エネルギーだけで生きていた、、


あの頃の自分と、、同じ年齢の自分の子供、、、


そしてまた自分の子供たちも、、

元気で、、

一直線で、、

エネルギーがあり、、

いろんなことに挑戦してゆく、、、


あの頃の自分と同年代の自分の子供を眺めていると、、、

あぁ、、一周したなって、、、

思うのです。


人生が、一周するのって、、、

30年くらいかかるんやね、、、

って思うのです。


そうして子供たちは、、


自分がしたように、、

自分のやりたいことをやり、、

行きたいところに行き、、、


恋愛をして、、、


そうして自分がやってきたことを、、

繰り返すんやね、、、

って思います。




以前にも書きましたが、、、


自分はもう人生の舞台から降りて、、

舞台の下から眺めている、、、


大きな道から外れて、、

路傍の人となり、、



昔の自分と同じように歩いてる人たちを眺めている、、、



同じようなものを見て、、


同じようなものを味わい、、



そうして若者は人生を生き、、、


またその若者は次の世代に舞台を譲る、、、、




30年で、、

一周したな、、



って思うこの頃です。